
2004年8月2日午前3時30分頃、写真にある民家で痛ましい事件が起きた。事件当時と今日撮影した民家の写真である。空き地になってる写真の奥にも民家が建ってあったが今は取り壊されている。
ここで、今から8年前に7人が殺される残虐な殺人事件が発生した。
先に書いておくが、殺害された人の中には私の父親の友達も居て事件3日前に地元で買い物をしていると偶然喋っていたらしい。父親の結婚式にも来てくれた仲だったらしい。
以前、ここの前で事件後にたくさんの人が火の玉や人の影や声がしたと一時心霊スポットとして有名になった時期があった。それは紛れもなく殺された人達の怨霊だと思う。
無念の死を遂げた人達は行き場のない怒りをどこへもって行こうかと彷徨っていたのだと思う。
以下、ニュースの描き下し
04年8月2日午前3時半、藤城は自宅の隣にある伯母宅に侵入、藤城とし子さん(80歳)、従兄弟にあたる勝則さん(55歳)、義久さん(46歳)の3人を包丁で刺し殺し、勝則さんの妻・明美さん(当時50歳)にも重傷を負わせた。最初の通報は勝則さんによる「母が頭から血を流している」と言うものだった。
続いて、自宅の斜め向かいにある遠縁の藤城利彦さん(64歳)宅も襲撃、利彦さん、妻の澄子さん(64歳)、長男・伸一さん(27歳)、長女の緑さん(26歳)の一家全員を殺した。7人を殺害した藤城はその後自宅に戻り、母屋にガソリンを撒いて火をつけた。同居していた母親(当時73歳)はすぐに警察に駆け込み難を逃れていた。
藤城は車を出し、実弟の家に行き「母親のことを頼む。わしは死ぬ」と言った。妹宅にも電話で同じことを伝えている。藤城はその後、加古川バイパス西インター付近で灯油缶を積んだ車を信号柱にぶつけ自殺を図るが、炎上したところを発見されて事情を聞いた捜査員に「あれは俺がやった」と話し、身柄をおさえられた。藤城は右腕に火傷を負っていた。
藤城はその後、やけどの治療のため神戸市内の病院に入院、回復を待って、8月31日、退院と同時に逮捕された。